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オーヌマホテル

 投稿者:善太郎  投稿日:2017年 2月16日(木)22時32分44秒
  オーヌマホテルは、山大からそんなに離れていませんでした。
友人の学生が、このホテルで、ボーイのバイトをしていました。
夏、屋上でビヤガーデンをやっていて、その友人が、生ビール、焼き鳥、焼きそば、ソーセージ、おでんなどの引換券を無料で渡してくれて、それで、たらふく飲んで食べたものです。その友人、一般の客から回収した引換券を、回収箱から再度、不正に持ち出していたようです。悪いバイト学生(笑)。
 
 

オーヌマホテル、小野川温泉

 投稿者:たっきゃん  投稿日:2017年 2月16日(木)22時31分29秒
  オーヌマホテルが正式名称とのこと、ご教示賜りありがとうございました。私の思い込みでしたか・・
昭和48年、設立された医学部の認可が遅れ、入試は10月の下旬でした。入学式は1週後です、と合格通知が来たのが月末でした。
京都の予備校で授業を受けていた私は、慌てて山形に向かいましたが、式は「ホテルオーヌマ」で行う、と書かれていたように思います。
それが妙に頭にすり込まれていたのでしょうなあ・・

恥を覚悟でジーパン姿で式に出席しましたが、同じ境遇だったのでしょう、半数は普段着で、ほっとしました。

オーヌマホテルは入試の際によく利用されたそうですが、私の入試は米沢で、宿泊は小野川温泉でした。
到着して温泉に入ったところが、中年女性が体を洗っていてびっくり、これが噂に聞く混浴か・・と妙に感動しました(また掲示板の品位を落として、すみません)。

その日は同室の学生と何回か浴場に通ってのぼせましたが、徒労でした(笑)。
旅館は大学の斡旋だったのですが、おおらかな時代やったのですなあ・・
 

オーヌマホテル

 投稿者:作者  投稿日:2017年 2月12日(日)23時40分24秒
  ホテルオーヌマ オーヌマホテル・・・
無意識にどちらも使っていた呼び名ですが、正式にはオーヌマホテルのようで
看板にもそのように表記されていました。
http://ht9901.web.fc2.com/4oonuma.html

http://8407.teacup.com/fuku990/bbs/1463

 

1979

 投稿者:作者  投稿日:2017年 2月11日(土)16時45分42秒
  1979年当時の資料では、あずま湯が福家食堂の向かい。
Ok輪店がやはり山大北東の位置にあるんです。
皆さんのお話しは、もっと前の時代のことですね…
 

(無題)

 投稿者:こねこ  投稿日:2017年 2月10日(金)13時35分23秒
  たっきゃん様のリンク先にもいろいろありますね・・・「ヘビ虫」がいた山大の石垣は旧制高校時代からあったんですね・・・。その旧制山高最後の卒業生の最長老が去年他界されたので、東原生協近くの銭湯の話は永遠に封印されてしまいました・・・。(旧制ヤマコーといっても旧制ヤマコータクシーだとばかり思っていました。)

梅月は梅月堂でも梅月でもどちらでも正解?のような気がします。

蔵王のスキーは父の仕事の関係で子供の頃良く行きました。吹雪のときはつらかったです・・・。ロープウェイの山頂駅をでてザンゲ坂を怖くて下れないでロープウェイに乗って下った記憶が・・・?でも冬場の蔵王は山大同様青春のメッカで、そんな中同級生がロッジで配膳していたんです。その子がジーンズの上下で配膳していたんですが、私は買ってもらえませんでした。ちなみに善太郎様のいらっしやった昭和四十九年はまだYBCニュースで荒川強啓が小池常安さんとともに出ていた頃だったのでは・・・?わたしは所沢の茶畑の中で全国ニュース「ニュースの森」に
「こんばんわ 荒川強啓です。」
と出てきったので、びっくりしました。ここは所沢じゃなくて山形なの?って・・・。
 

「梅月」考

 投稿者:たっきゃん  投稿日:2017年 2月10日(金)00時25分7秒
   こう様のご指摘有り難うございました。正式な店名は「梅月堂」で、ビルには梅月堂でなく「梅月館」と記されているのは、よく存じております。
しかし、少なくも私が山形にいた8年間、人々は梅月堂ではなく、「梅月」でランチを食べた、と言うのが普通だったと思います。
戦前からそのようで、くだんの詩人も私の記憶が正しければ、「梅月といふ、明治製菓のやうなところで」と書き、案内した山形の知人の手記でも「梅月」です(下のHP参照)。

たぶん、
1.梅月堂は「梅月」が通称であった(「ジュンク堂」でなく、ジュンクで本を買ったという人が多いように)。
2.下の菓子店名は梅月堂であったが、2階のレストラン・喫茶の店名が、たとえば「喫茶・梅月」であった。
3.もとは「梅月」だったが、後に「梅月堂」に屋号がかわった。
のどれかでは?と愚考致します。

作者様、長老の話が聞けるこねこ様、どうなのでしょうか?

別件で作者様にお聞きしたい事があります。オーヌマホテルは、私の記憶ではどうしても「ホテルオーヌマ」なのですが、途中で名が変わったということはないのでしょうか?

 はじめてのアルバイトがビラ配りでした。誰それは稲荷角、誰それはグランドホテル前・・お前は「梅月」の前で配れ、と指示され、まだ地理もわからず、「バイゲツ」とはどこですか?と質問したのを、書いているうちに思い出しました。

http://www.tokyo-kurenaidan.com/tachihara-morioka-yamagata2.htm

 

梅月

 投稿者:こう  投稿日:2017年 2月 8日(水)12時35分12秒
  しつこくてすいません。
「梅月」では無くて、「梅月堂」ですよね?
 

山形の冬スポーツ

 投稿者:たっきゃん  投稿日:2017年 2月 5日(日)23時04分16秒
   この時期は何と言っても、初めて経験した冬スポーツの思い出です。
母「どさいぐの?」息子「ジャスコだず!」(40年前のコマーシャル)のスポーツ品店でスキーを買いました。
3月上旬、快晴の地蔵岳から見た白銀の月山、鳥海山は、20歳にして初めて見る絶景でした。温泉街にあった、硫黄の堆積した無料の公営温泉につかるのも楽しみでした。
今は龍山のリフト乗り場があった奥にジャンプ台ができているのですね。女子選手の活躍が嬉しいです。
しかし蔵王は金がかかる・・駅からそのままゲレンデに出られた面白山で練習したものですが、ストリートビューでは無人みたいです。閉山してしまったのでしょうか・・

 元木(アイスパレス?)と桜田(名失念)にあったスケート場も今は無いようです。
後者は医学部の門前だったので、学生課で半額券をもらって時々滑っていましたが、51年頃に閉鎖されました。

 5年前の山形再訪時は年末で、落合の競技場が開放されており、生まれて初めて屋外、しかも400mのコースに連れて行かれました。
何しろ40年ぶりのスケート、滑れるかな?と怖くて2-3周は補助具にすがりましたが、なんと感覚はすぐよみがえってきて、あとはスイスイと(笑)。
父が滑って転ぶ様を心配(期待?)していた息子や娘は目が点になっており、本当に若い頃の山形に感謝した次第です。
また年寄りの自慢話ですみません。
 

山大の石垣

 投稿者:善太郎  投稿日:2017年 2月 5日(日)09時34分53秒
  こねこさま、こんにちは。
昭和49年ごろ、東原町のゴキブリ長屋に住んでいました。すぐ目の前が墓場で、現在は、学研の学習塾になっているようです。
山大の石垣は、ストリートビューによると、当時と同じようですね。学校に行くときも帰るときも、この石垣に沿って歩いたものです。
食料がなくなると、長屋とは反対の方向を石垣に沿って、理学部の裏手を、ヤマザワまで買い出しに行きました。天満湯の方向だったと思います。当時は、畑が広まっている風景だったと覚えています。
 

梅月、山大の石垣等

 投稿者:こねこ  投稿日:2017年 2月 1日(水)17時33分40秒
編集済
   たっちゃん様にはお姉さまがお二人いらっしゃたのですか。手作りお揃いのお洋服、ほほえましいですね…。今でも年季の入った足踏みミシンはとってありますが、しかし使うことはないです。

梅月はよく母や近所の奥さん(友達の母親)がお菓子や北欧風パン(菓子パン)を買って来ていました。スィートポテトが絶品で、しかも大きいです。ドレスメーカー女学院前のバス停から乗って旭銀座に行きました。二階のレストランで一度か二度ぐらい食事したことはあったけど大人の雰囲気でヨソ行きの服を着てお行儀よくしていなくちゃならないから子供には窮屈でした。かつて旭銀座にはハイカラな洋菓子店というか大人の雰囲気のパーラーが他にも二軒ぐらいありました。ドレメ前バス停で待っている時、ドレメ校舎内のトルソーなんかが見えてフェミニンな雰囲気とともに憧れでした。ドレメの向かいには大判焼き屋があってドレメの生徒さんや至誠堂病院の看護師さんで賑わっていました。近所のお姉さんたちもうだけどあのころドレメの生徒さんは北高出てきた人が多かったうです。昔は足踏みミシンを業者さんに頼んでモーターをつけてもらって電動ミシンにしてもらうことも多かったです。そうするとガサばらないし、電動なので効率もいいです。でも机のように大きな足踏みミシンはあの時代の家庭を象徴するアイテムですね・・・。

 山大前バス停と山大の石垣、まだありますね・・・。内藤洋子さんがいた店はぜんぜんわからないけど、小学生の頃、あの石垣にカタツムリが居ました。カタツムリはなんとなく可愛いですね・・・。それでカタツムリを探していたら石垣のところを大きなへび虫(へびみたいな大きなイモムシ、セスジスズメの幼虫?)が歩いていたことがあり、もう泣きたくなるような気持ちになってそれは怖くて以後山大の石垣(というより山大前通りをわたった山大側)には寄り付かなかった時期もありました。

 蜂屋さんもジャスコ七日町店も閉店して久しいですね・・・。七日町のジャスコの地下にはヤマザワ、二階にはスポーツ店が入っていて、中学のときに友達とそこでウェアをいきました。ああ「ごりら」っていう店が角にありましたね。?
 

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