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いまひとたびの青春

 投稿者:たっきゃん  投稿日:2017年 3月26日(日)17時17分10秒
  私事になり恐縮ですが、先日息子が山大を卒業しました。

帰省した息子と酒を酌み交わすたびに、かつて暮らした山形の街や、自分の青くさい行動や悩みまで思い出し、
すっかり忘れていた山形を40年を経て再体験(?)した6年間でした。

記憶を繋げるためにこのサイトに至り、東湯や福家食堂、ドレメ、OK輪店、ホテルオーヌマ、海谷青果店等々懐かしい名前を聞くたびに当時の情景が蘇りました。
歳をとったためか、いやな思い出は沈殿してしまい、嬉しかった出来事や優しかった人々を思い出すばかりです。
息子を通して、山形での学生時代をもう一度繰り返した様な、不思議な気が致します。自分にとって二度目の卒業とでもいえるでしょう。

いろいろな写真や情報をお教え下さった作者様、こねこ様、皆様どうも有り難うございました。
 
 

なんとレアな古地図と、いにしえの東原小白川

 投稿者:こねこ  投稿日:2017年 2月26日(日)15時41分0秒
編集済
  たっちゃん様の写真&古い地図には旧一中や古い建物の至誠堂病院もありますね。衣料総合センターってのちに
「はながさ米」「山形県経済連」
の看板になったあるあの今の「ねもとクリニック」ちかくにあったアレでしょうか?H天皇時代の象徴的建物ですね。
あれは1971年にできたのでは?

時は流れてねもとクリニック(今現在の第二公民館状態)は多分オウム事件頃というかZARDやあじいちもんめがリアルタイムのころ開院したと思います。

  一方県庁が出来るまては上小白川の随一の高層建築であり上小白川老舗医院であるA医院はねもとクリニック開院で今まで以上にひっそりとしはじめついに閉院して今はかつての高層建築は取り壊されてしまいました。その上小白川摩天楼A医院のとなりにはスーパー今井小白川店→ヤマザワあさひ町店ができて純農村だった上小白川はオシャレでセレブで気取った町に変貌していきました。

山形再生病院(あそこはお産の産科がメインの産院だった?)は千歳のほうに引越しして今は県の関係の研修所らしいものになりました。小白川交番は薬局→学習塾、ドレメはツルハに変貌しました。変わらないのは地蔵院天満神社等の神社仏閣ぐらい。

下白川のホットスポットでかつては何時でも混んでて大にぎわいの貯金局前のS内科も閉院して久しいです。明るく気さくで何処か可愛らしいキャラで太陽のようなオーラの名物先生だったけど、もうお年で…

一方赤ちゃんの頃から至誠堂の常連だった私は先生&看護師さんにはずいぶん可愛がってもらったものでした。しかしそれも思春期まで、高校にもなるとあの界隈で世話になった至誠堂の先生や看護師さんとあっても
「あっヤバっ」
と挨拶もせずにシカトして自転車でスルー、子供扱いしないでよっていうHeartでした。ナマイキ盛りのJK時代(^_^;)

65年(昭和40年)に更地ということは、ルーフィング工場の火事はそれ以前ですね。ヤマザワ小白川店は1969年昭和44年開店あるいは1971年昭和46年の開店?のような??

27日加筆

日本ジュウタンは後のヤマザワ小白川店になったのですが、上小白川の経済連の衣料総合センターはヤマザワ小白川店が出来てから建てられたという説が有力で、それが正しいとすればたっちゃん様の古地図に示された日本ジュウタンと衣料総合センターは同じ時期には存在しなかったことになるのですが(@_@;)

ヤマザワ小白川店では当時最高級品だったロッテラミーチョコレートをお使いのお釣りで無断購入しては友達と内緒で味わったものでした。その友達のママの鏡台の前に座ってメイクしたり香水つけて家に帰って怒られたり、いろいろ思い出しますねー。そういえばヤマザワ小白川店向かいにツタヤとかいう店があり、そこで「花とゆめ」を買ったりして、あの界隈は夢の世界への入り口だったりして(^_^)v




 

訂正

 投稿者:たっきゃん  投稿日:2017年 2月23日(木)08時18分35秒
  「雅裳園」でなく「雅裳苑」でした。  

古地図

 投稿者:たっきゃん  投稿日:2017年 2月23日(木)00時43分58秒
  学生時代に買った地図が、探してみると本箱からでてきました。
印刷年が不明ですが、山形に行く時(1973年)に京都駅前の本屋で買った記憶があります。
なんとオーヌマホテルはM様のご指摘通り「雅裳園」で、小白川のヤマザワの位置に「日本ジュウタン」があります。山大の建物配置は65年のものと一致しています。

私が山形に来たときにはすでに「ホテルオーヌマ」とヤマザワがありましたので、この地図の原本はおそらく70年前後のものではないでしょうか?
そういえば、せっかく買った地図なのに、あれ、現状と違うやんか、金返せ!と不満に思った記憶が残っています(笑)。
 

オーヌマホテル変遷60年

 投稿者:たっきゃん  投稿日:2017年 2月23日(木)00時41分1秒
  「ホテルオーヌマ」の時代があったとわかり、記憶が間違っておらずホッとしました。

さて、国交省データベースから1956、65、75年の航空写真を並べてみました。
オーヌマホテルは65年更地になって工事中のようです。56年の同場所は長屋根の建物が密集し、工場風です。
一中は65年に一部校舎が増設されているものの、ほとんど変わっていません。
私には確かめる術はないですが、ホテルの建つ前は、やはりこねこ様の記された、「ルーフィングというものを作っている工場」であった可能性が高いのではないでしょうか?

ところで山大の大いなる変遷にもご注目ください。
 

オーヌマホテル

 投稿者:  投稿日:2017年 2月21日(火)12時16分56秒
  一中があったはずです。  

ありがとうございます

 投稿者:作者  投稿日:2017年 2月20日(月)18時58分43秒
  関係者様の情報ありがとうございます。
当時をその場で過ごされた方の情報は 印刷物にも載らないことが多いので
大変貴重ですね。
さらに当時のことをお伺いしますが、ホテルの南は最後には庭でしたが、その前は
山形市の資料館のようなものがあった気がします。
ひとの話では、その前はジュータン工場だったとか。
間違いありませんか?
 

マークについて

 投稿者:  投稿日:2017年 2月20日(月)16時29分57秒
  オーヌマホテルのマークは看板にあるように花の形になってますがもともと四角く亀甲型でしたが印刷ミスがありいつの間にか現在のマークが採用されました。  

オーヌマホテル

 投稿者:  投稿日:2017年 2月20日(月)16時26分16秒
  開始当時は雅しょう苑。その後ホテルオーヌマ、オーヌマホテルです。
関係者より
 

いろいろ

 投稿者:こねこ  投稿日:2017年 2月17日(金)15時56分23秒
編集済
  たっきゃん様や善太郎様の投稿読んでいたら、私の青春の光と影が脳裏にフラッシュバックしてしまいました。
18の春、山大前のバス停からバスに乗って上京したのですが…。

恋をして恋に破れて友達やバイト先の先輩に慰められて、そして再び山形に戻ってくるとなんだか妙に懐かしかったです。

たっきゃん様の混浴光景の描写、思わず吹き出してしまいました。今でもクスクス吹き出しています(笑)でも京都の予備校ってきくと、北山修が妹の自転車で加藤和彦のところに駆けつけたというあのフォークル誕生の伝説っぽいですね、なんか。
 

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