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ごりらの位置

 投稿者:作者  投稿日:2017年12月15日(金)00時57分50秒
  「やまがた街角」掲載の古地図によれば、今角地になっているごりらは、もとは南北の通りのみに面していたのが
東西の通りが拡幅になったため、東西の通りに面していた店が一掃された結果角になったようでした。
そのほか市内各地にあった古い店舗の並びも非常に興味深いものがあります。

http://ht9901.zouri.jp/

 
 

やまがた街角

 投稿者:作者  投稿日:2017年12月14日(木)01時34分39秒
  県内にお住まいでない方には八文字屋発行のものは
書店では入手しにくいかもしれませんが、送料追加になるとは思いますが
出版元から送ってもらえるのではないかと思います。
ここではどうでしょう?⇒ http://syoshi-sai.com/toiawase/

今回の冬号は ご一読いただきたい記事でした。

http://ht9901.zouri.jp/

 

七日町マーケット

 投稿者:熊ぱんち@神奈川  投稿日:2017年12月13日(水)10時35分17秒
  作者様

コメントありがとうございます。「やまがた街角」を読む術がないのが残念ですが。

さて、件の「七日町マーケット」ですが、「gotta!」誌面によれば、「大沼山形店の東側」に
あった、ということは、まさに今の「ごりら」さんがあり、どうやら拡幅工事が行われるであろう、丸久→セブンプラザ横の通りに存在したということでいいんですかね。同誌掲載の、1961年ころの同じ地点の住宅地図や写真は、現在の状況からは想像もつかないバラックの林立ぶりで、
それが50年余りたって現在の状況になり、今また変貌しようとしているわけで、そう考えると、七日町界隈の変貌も、歴史の必然と受け止めなければならないのかもです。
 

長崎屋

 投稿者:作者  投稿日:2017年12月13日(水)01時17分16秒
  緑屋も当時七日町にありましたが、子どもの居場所がない店は
家族連れが行かなくなるんですね。存在感が薄かったです。

大沼もその道に行って欲しくないんですが、子どもの居場所を
削ってからはイオンに押されっぱなしですね。

http://ht9901.zouri.jp/

 

ごりら

 投稿者:作者  投稿日:2017年12月13日(水)01時14分25秒
  道路拡張情報ありがとうございます。

ごりら周辺については今回の八文字屋発行「やまがた街角」にも
その辺の詳しいいきさつが特集されているようですね。
マーケットと呼ばれるいくつかの今は消えた商業地の記事でした。

http://ht9901.zouri.jp/

 

滝山地区

 投稿者:作者  投稿日:2017年12月13日(水)01時11分21秒
  古くから信仰の道として続いた滝山地区が
どんないきさつか、千葉の藩の飛び地になった時期があったとは
知りませんでした。
貴重なお知らせありがとうございます。

http://ht9901.zouri.jp/

 

(無題)

 投稿者:こねこ  投稿日:2017年12月12日(火)15時18分42秒
  作者さん、ありがとうございました。
長崎屋七日町店はあまりにも存在感が希薄だったようですね。

 

「ごりら」のあたり

 投稿者:熊ぱんち@神奈川  投稿日:2017年12月12日(火)12時36分31秒
  そういや七日町の古い店に「ごりら」って、あったよな。と思ってwebを散歩してたら、
webマガジンの「gatta!」を発見しました。もしかして大風印刷さんが出してるのかな?

http://www.okaze-gatta.jp/feature/2873

この中で、2点ほど気になることがあったので書き込みします。
くだんのweb上には、1961年ころの、「ごりら」周辺の住宅地図が載っています。見た限り、
高竜(龍?)寺さんと、大場印刷さんは場所が変わっていないようですが、「ごりら」さんの
位置が微妙に変わっています。そのほか、タイガービル(旧とんかつタイガー)、松源、角のタバコ屋さんの存在が確認できます。これで行くと、松源さんって、50年以上同じところで営業されているんですね。「ごりら」さんもなかなかのものです。

もう一つ気になるのが、記事本文中にある、

「道路の拡幅によって来年を目処に店を閉めてしまうという。」

というところで、旧セブンプラザから、専称寺方面に上っていく道路が拡幅されて、
「ごりら」さんもろとも「消えた山形」化するということなんでしょうか。言われて
みれば、この通り、やけにロードサイドの駐車場が目に付くと思ってみていました。

2017年から2018年にかけて、この通り、記録に残しておいたほうがいいかもしれません。





 

江戸時代と滝山地区

 投稿者:山を見上げていた  投稿日:2017年12月 9日(土)22時08分8秒
  土坂公民館が滝山小の冬季分校土坂分校の跡地のようです。
西蔵王のメインの道路から見て、低い山とテレビの電波を出す電波塔と展望台もある、低い山側、街中の方向の道路のすぐ近くです。
千葉の佐倉藩の飛び地の大きな堀田村、蔵王村に名称変更して山形市に合併した、山形市の蔵王飯田や山形市の蔵王桜田など、
江戸時代の佐倉藩の飛び地について、
堀田村、上野村など蔵王2小、蔵王一中の学区の小さい堀田村とその回りの村、
成沢村と山田村など蔵王一小の学区の成沢村の回りの村、
大きな堀田村は飯田と桜田の下桜田は大きな堀田村の側に行った。
江戸時代の話をします。
実は飯田と桜田の下桜田の他に、桜田の中桜田村と下桜田村は江戸時代の千葉佐倉藩の飛び地。
飯田と青田村も、小立と平清水も江戸時代の千葉佐倉藩の飛び地。
大きな滝山村こそが神尾村、土坂村、上桜田村は山形藩から、
青田、中桜田村、小立や平清水など千葉佐倉藩の飛び地だった村と霞城公園の山形藩だった村がまじって滝山村になってます。
南村山郡
その滝山村と山形市は明治22年にやっとできたようです。
南村山郡と村山郡と佐倉藩の飛び地と堀田村とをしらべたら突き当たりました。
三本木沼と西蔵王地区が南沼原になった南館、ここまで山形藩、
平清水や小立まで食い込んでいた千葉の佐倉藩の飛び地が滝山村と、千葉の佐倉藩の飛び地の吉原村も南沼原の新しい明治22年にできた大きな村。
南村山郡の山形市と大きな堀田村と南沼原や滝山のような明治に多数の小さい村を明治22年に統合して新しい大きな村になったとか。
江戸時代の最後と明治22年の南村山郡を見ると江戸時代の領主と明治の村がどう変わったかわかります。
飯田と成沢。
飯田と成沢は分断されてます。
昭和の前半から今の道路と村と街中ができたと思いますが、
飯田と三本木沼と滝山地区から千歳山まで、自転車で車がバンバン来る太い道路を通らないでいけます。
成沢と飯田の間は山の上の共同墓地を通らない限り分断されてます。
車がバンバン来る太い道路か共同墓地を通らないで成沢と飯田の行き帰りはできないです。
花夢花夢の跡地のゴルフ場や果樹園の裏は崖のように見えて、歩いて登り降りは可能です。
住宅回りの道を通っては成沢と山田と上野、堀田は大きな堀田村で、
飯田と青田と桜田は大きな滝山地区と思っていたです。
実は中桜田村と青田村も江戸時代は大きな堀田村と同じ領主だったようです。
            
 

長崎屋

 投稿者:作者  投稿日:2017年12月 6日(水)00時47分52秒
  山形の長崎屋は大沼の南隣、現在の横田ビルに入っていたと思います。
長崎屋や緑屋は子供の遊び場がなかったので子供は丸久か大沼に連れられていくのを
喜んでいました。

http://ht9901.zouri.jp/

 

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