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古い写真

 投稿者:たっきゃん  投稿日:2018年 5月15日(火)23時38分23秒
  熊パンチ様、懐かしの画像ページ情報有り難うございました。

白黒を下記HPで疑似カラー処理してみると、思い出がじゅわっと蘇りました。
文理講堂の正面写真が特に懐かしく、この後、我々の先輩がここに大きな卍マークと「少林寺拳法」の貼り紙を掲げていました。
その南には弓道部の射場があり、いつも「射~」の声が響いていました。
夏休みのプール開放時は、学館の受付でロッカーキーを借り、向かって左の木造建築の1階で着替えました。
この並びには保健室があって、医師になってから健康相談に出向いたことがあります。

写真に写っている車が、ホンダN360やブルーバード510など、ちょうど私らの青春時代のもので、また懐かしい(涙)。
厚生会館の工事中の写真もありますね。ここの食堂のカツ丼はうまかったが、関西生まれには、うどんの出汁が黒く、みそ汁も辛すぎました。

ただ、シンボル的建築の写真が多く、「坂の上」の古い写真がないのが残念です。
当時はフィルムや現像・プリント料が高かった事もあり、人物は撮っても建物を撮る学生は限られていたでしょう。

古い写真の情報がありましたら、またお教え下さると幸いです。

http://hi.cs.waseda.ac.jp:8082/

 
 

ふすま会

 投稿者:Marble Madness  投稿日:2018年 5月14日(月)14時22分36秒
  東原界隈はよく自転車で移動してたのですが、住宅地の間に通っている細い路地を抜けるのが好きで、そこで「ふすま会」なる集会所的な物件を見かけておりました。

洒落のきいたネーミングから、地域住民の方々のミニ集会所なのかなと思っておりましたがそうではなかったのですね。
 

もしかしたらつながる話?

 投稿者:熊ぱんち@神奈川  投稿日:2018年 5月14日(月)11時02分34秒
  連投すいません。

Wikipedia「山形青年師範学校」の項に、以下の記載があります。

--引用はじめ--

校地の変遷と継承[編集]

前身の山形県立青年学校教員養成所から引き継いだ南村山郡滝山村 (現・山形市平清水) の校地を使用した。滝山校地は後身の新制山形大学に継承され、教育学部滝山分教場となった。1966年、滝山分教場を廃止して跡地に職員宿舎・学生寮を建設することになり、同年10月、同窓生によって滝山校舎お別れ会が挙行された。旧滝山校地は現在、山形大学職員宿舎、地域教育文化学部附属農場および学生寮 (清明寮) の敷地となっている。

--引用終わり--

1966年か67年に、山大の職員住宅と旧学寮が平清水の師範学校滝山分教場跡地に移転したわけですが、それ以前の学生寮(「学寮」)は小白川4丁目付近にあり、また、大学付近の職員の住宅として、板井アパートは重要な建物だったのでしょうが、これらが平清水へ移転した結果として、板井アパートも様変わりし、旧学寮→平清水学寮→清明寮(2001年ころ旧学寮取り壊しの上新築)になった。。。ということで、なんか話がつながるようです。

1980年代東原住人からしますと、板井アパートって、正直なところそんなに印象に残っていないのです。むしろエネオス(日石)の山大前GSのほうが印象深かったりして。

しかし、みんなでいろいろ掘ってみると、思わぬ事実が出てくるものでありますね。
 

いにしえの山大小白川

 投稿者:熊ぱんち@神奈川  投稿日:2018年 5月14日(月)10時32分52秒
  >たっきゃんさん

旧山形高校、山形大学文理学部の同窓会である「ふすま会」が、かつての小白川キャンパスの
写真を集めておられるようで、一部は公開されています。

http://www.yamagata-u.ac.jp/ykouyu/gallery01/gallery2017_old%20photos

これによると、もしかしたら、平清水移転前の学寮は小白川4丁目付近にあり、いわゆる「裏門」
からが寮への近道だったということで、往時から「寮生門」とか「寮生坂」とか呼ばれていて、
学寮が平清水へ移転してからも「寮生坂」の名前だけが残ったのかもしれません。

 #実は、1980年代の山大生である私には、どうしてこの坂が「寮生坂」だったのか、不思議でならなかったのです。

このあたり、「ふすま同窓会」関係者の方が何かご存知かもしれません。ちなみに現在、同窓会館は東原1丁目にあり、かつてのわが下宿のすぐそばなんですが、東原在住当時は全くその存在を知りませんでした。「玉ノ井商店」のすぐそばで、玉ノ井商店自体はまあまあ利用していたはずなんですが。。。





 

半世紀前の山大

 投稿者:たっきゃん  投稿日:2018年 5月13日(日)00時40分42秒
  坂道に教養坂や寮生坂などという名前があったとは全く知りませんでした・・

こねこ様の教養坂でスキーをしている写真を拡大してみてみると、建物の右上に盃山らしき山影がみえます。
ということは方角から考えると、この建物はやはり教養部1号館が建つ前の学舎ですね!!
古い航空写真は国交省のHPから見られるものの、どんな建物だったのかは想像するしかなかったので、ちょっと感動しました。
2階建て、屋根があって、各教室からストーブ用の煙突(というのかしら?)がでているのを興味深くながめました。
和歌山の学校では教室にストーブなどなく、職員室にだけ設置され、窓の外にブリキの煙突がでていたように思います。

この写真の左に坂道の石垣がみえますので、皆さんがスキーをしているのは、学生用掲示板が並んでいるあたりでしょうか・・
現在は建物が建っているようですが、私の頃(S48-50)は、掲示板の後には、勾配のきつい土手と石垣がありました。

航空写真をみると、昭和40年は旧学舎で、48年は新学舎です。45年は1号館の正門より東側の部分だけが建っているように見えます。
45年は山大正門右手に、人文学部でしょうか、まだ旧学舎がみられます。善太郎様はこのような過渡期の光景を見られたわけですね・・
なお、人文?の旧学舎跡は私らの頃は更地となって、駐車場として使われ、その向こうに白い瀟洒な洋風建築の文理講堂が見えました。
この風景をもう一度みたいと思っていましたら、下記のブログに写真が掲載されておりました。更地になった直後のようで、昭和46~47年ごろの写真かと思われます。
隣の煉瓦造りの建物も覚えておりますが、廃屋となって放置されておりました。

以前にも書きましたが、文理講堂は少林寺拳法部の練習場=部室となっていました。
白で統一された太い円柱や、階段手すり、窓枠、彫刻を彫った額縁状のステージ周囲の飾りが、光沢のある茶色いリノリウムの床に映え、
内装もまたレトロな異国情緒あふれるものでした。
私らはよくぞうきんがけ(!)をしていましたので、中は綺麗なものでしたよ。
いつ頃こわされてしまったのか知りませんが、保存できなかったものかと勿体なく思います。

洋館といえば、花小路の東のモルモン教会も2階建ての洋館でした。
通りすがりに、ここが「モンモル教会」かなどと話していたら、突然2階の窓があいて、外人さんに「いいえ、モルモンです!」と怒鳴られたことを思い出します。
また東原だったか、広い庭とかつては瀟洒だったはずの2階建ての洋館があり、
ご高齢の老女お二人が家主でしたので、「お化け屋敷」と呼ばれていました。
ここに友人が間借りをしており、普通の和室でしたが、2階のなんと8+6=14畳を一人で使っていました。
家の廊下は広く、天井は高く、手入れもせず乾燥しきっていたものの、飾りつきの手すりや踊り場がついた広い階段がありました。
トイレも白いタイル貼りで、戦前(明治、大正?)の香りがぷんぷんとするようなお家だったのを思い出しました。

作者様のお許しもあったようですので、個人的なこともながなが書いてしまい、失礼致しました。

http://blog.goo.ne.jp/rekishi-huukei/e/9baa7ff6aa34fc86a06ba7b5477adb82

 

寮生坂

 投稿者:熊ぱんち@神奈川  投稿日:2018年 5月11日(金)15時49分34秒
  善太郎さん たっきゃんさん こんにちは。

山大の小白川キャンパス自体が、たぶん傾斜地を段切りして造成されたもののようで、かつてのバス停「山大前」側道路を背に、理学部、教養部を左にみながら直進した時に、最初に差し掛かる坂を「教養坂」と呼んでいたと思います。

で、さらに直進すると、もうひとつ坂があり、そこから門(「裏門」と呼んでいいのだろうか?)を経て、小白川町4丁目方面に出られましたが、こちらは「寮生坂」と呼びならわしていたような気がします。

往時、平清水に存在した山形大学学寮(通称「学寮」)に行くにはこちらのほうがわずかに近いからだと認識していますが、これって一般的だったのでしょうか。

そういえば学寮も、いろいろと事件があって、なんとなく記憶から消された(消した)ような気がしますが、こちらもれっきとした「消えた山形」でありますかね。

 #もしかしたら、学寮→清明寮、北辰寮と紫苑寮(通称「おんりょう」)→リフォームしたけどそのまま ということなのでしょうか。
 

こねこさん

 投稿者:作者  投稿日:2018年 5月10日(木)02時51分21秒
  当時のお話は貴重な財産なので、削除対象ではないと判断致します。
いろいろな思い出話を提供していただく場にしたいと思います。

ほかの方々も、貴重な画像はじめ 失われた過去の山形の情報、ありがとうございます。
 

ニコマート

 投稿者:Marble Madness  投稿日:2018年 5月10日(木)02時16分38秒
  ニコマートのラベルが見つかったので画像を貼っておきます。  

ブザー

 投稿者:Marble Madness  投稿日:2018年 5月10日(木)02時14分58秒
編集済
  こねこ 様

板井アパートのブザーですが、管理人室からの呼び出しで鳴るんですよね。大体は家賃の催促なんですけど。以前に貼った画像にそのブザーが見切れて写ってますね。

管理人室も他の部屋同様の同じ造りなんですが、玄関扉脇の下駄箱兼物置の部分が改造されててそこに喫茶店等でよく見かけた公衆電話が据え付けてありましたね。まさにこの掲示板の背景のような色の。

時代背景的に固定電話がない住人向けに置いてたんでしょうけど、そういう電話の応対もあり、管理人室には各部屋の呼び出しができるブザー用の制御盤があったのが印象的でした。
 

教養坂?

 投稿者:善太郎  投稿日:2018年 5月 9日(水)16時49分54秒
  たっきゃんさん、間違いなく、教養部の建物前の「坂道」です。
正門から入ってイチョウ並木を歩いていくと、右側が人文の建物(当時は木造)、左側が理学部。そのあとに5メートルくらいの坂道があり、そこに教養部の建物がありました。これは、私が物理科の学生だった昭和45年も同じ風景です。
坂道を登り、まっすぐ行くと、教育学部、右折すると生協や大学会館でした。大学会館前がなんとなく「キャンパス」っぽい雰囲気の広場。大学会館前を左に行くと、グラウンド。
坂を登らないで右折すると、図書館や保健管理センターでした。
 

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