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七小は、タンボを埋め立てて建てたとか、当時から地盤沈下は想定されていたのでしょうね。
因に「こう君」は何年頃の卒業生ですか?。
私の場合は昭和15年入学、卒業は昭和21年3月。思えば大変な時代でした。
ただ、その頃から地盤沈下は囁かれていましたよ。でもね、そう聞いていても、どうすればいいのか誰も分からなかったでしょうね。
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別件ですが「桃の湯」には長い間お世話になりました。戦中戦後、各家で風呂を沸かすなんて絶対に無理でしたよ。燃やすモノとなると泥のような「亜炭」がありましたが、碌に燃えもしないで大量の灰が残るだけでしたから。加えて亜炭とは云え結構高価でしたし・・・。
とにかく、銭湯はどこでも「芋洗い」の状態で、いつも大混雑でした。それだけに、ちょっと遅く行ってみると、湯槽の中は、どろどろと汚れて臭気フンプンの云うに云えない凄まじい液体に化していましたね。湯槽に入っても、湯の中の自分の手すら透けて見えませんでしたよ。文字通り「くさい泥湯」でしたね。
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湯槽の上に掲げてあった絵は 一見「三保の松原」風の絵で、さすが山形ですから富士山ではありませんでした。
広告も何枚か描かれてあって 旅篭町の「百草園」、これだけ記憶に残っています。
同じ旅篭町の「みさわ瀬戸物店」これもあったかも・・・。
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ただねえ〜〜私の年になると「桃の湯」と聞いただけで涙をこぼす ご年輩の御方も多いと思いますよ。
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※ 今回の私の投稿はこれにてオシマイ。いずれ又お世話になりますので・・・・。
http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/
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